新しいお稽古事もこの秋で早くも2年。今まで記載してきたお稽古事の先生のような変な人が一人もいない。ましてやこのブログを立ち上げるきっかけになった幼馴染(フレネミー認定済)のような腹黒グロした人は一人もいないので、実に平和にお稽古事そのものに邁進して楽しんできた。

そんな中、人間関係とは少し違うけれど、覚書をしておきたいような出来事が3回ほどあった。

1回目はお稽古事1年が過ぎようとしていた昨年の秋ごろから始まったと思う。生徒同士の雑談で、私が発言をするたびに先生が近寄ってきてさりげなく私の発言を遮ることが増えた。子の話をしているときが多かったので、私の発言の中にほかのお子さんに聞かせたくない内容があったのかもしれない。でもコロナで学校が云々という話だったし、私的には内容には十分気を付けているので心外。とはいっても、そもそも子の話をする必要はない。子の話題そのものをしないように気を付けるようになった。

そしたら今度は先生のほうから子の話を振ってくるようになった。先生の話を聞いて、でも話題には乗らないようにするのは結構大変だった。といっても、そんなこと、今まで記載してきた癖の強い底意地の悪い先生とのあれこれを考えると、まったく。本当にまったく、問題ない。


2回目は今年の初夏ごろだった。早めにお稽古場に到着したら机上にゴミが散らかっていた。掃除をしようとしたら先生が慌てて駆け寄ってきて掃除を始めた。大丈夫ですよ私がやりますよと、近寄ったけれど自分たちの仕事だからと。そして、「掃除をして帰ってね」といくら言ってもやらずに帰る人がけっこういるのだとお話しくださった。話の流れでうちの子にも、彼女には人が見ていないところでも掃除をさぼらないのがデフォな人がいいよと話しています、と話したところ、先生が「今からもう、お嫁さん選びの話ですよね!」と。

お嫁さん?私は「嫁」という言葉が何よりも嫌いだ。そもそも「彼女」という言葉を使ったはずなのになんで「嫁」という言葉が返ってくるんだろう?とぽかんとしている間に掃除も話も終わってしまったので、そのままになった。そのままになってよかった。あとで考えるとあのとき先生は楽しそうだった。もしかしたら先生は「嫁」という言葉が大好きなのかもしれないと気がついたのだった。


3回目がついこの間だ。先生の配偶者がフィギュアに凝っているという話になった。美しい世界観をお持ちの先生のことだ。ご自分の世界とオタク的なフィギュアとを絶妙なバランス感覚で調和されているかもしれない。どんなコツがあるのか興味津々でお聞きしてみた。すると、「専業主婦的目線のお話ですね!」と。それぞれの部屋があるらしく、その詳細を楽しそうに語ってくださって、お聞きしている間に質問の本来の趣旨はどこかに行ってしまった。

私はお稽古事の場で普通の生活の話をしたいわけではない。嫁とか主婦とかあるいは時々香ってくる「お家」の概念などとは距離を置きたいタイプだ。

以前のお稽古ごとの先生は少しご高齢だった。そのような概念の下で呼吸をするように意地悪を仕掛ける文化の中で育ったのかもしれないし、そのような世界の中の住人だったのだろう。先生が意地悪だったこと以上に、お金を出してそのような世界に触れに行くことそのものに無為なものを感じて辞めたのを思い出した。

でも、でも。先生は私と同世代なのに。「嫁」とか「主婦」などの言葉が大好きらしい。

というか、同世代なのに?!という発想も、偏見か?

LGBTとかSDGsなどが言われるようになった頃から、随分と女性も生きやすくなったと思っていた。自由度が増えたというか。男が威張らなくなって楽になったというか。

でもやっぱり同世代の同性に、旧来のままの世の中を見ることがあるのだ。

亡霊を見ているような気分になるのだけれど、むしろそれがまだまだ現実なのかもしれない。

今度先生が私の話を旧来の概念に当てはめようとしたときには、態度で軽く、私は違いますが、と意思表示をしよう。

態度で軽く、意思表示を続けよう。

いままでは不満を抱えていただけだった。不平等で不自由な世界をどうすれば少しでも楽にすり抜けられるかを考えるだけだった。

でも、いまは少しだけ追い風を感じている。

微風だけれど。

まだまだ弱いけれど、新しい風に私も乗るよう、努力してみよう。

そう思った。



あ、そうそう。意地悪のない、お稽古ごとに邁進できる環境って、最高です。

意地悪やいじめでお稽古事で不快な思いをしている方がおられたら、すぐにでも新しい環境を求めることだと心から進言したいと思います。

本当は、学校やPTA関係(地域も)も同様です。逃げきれない?そんなことは本当は無いはず。そう思い込まされているだけ。我慢するということは自ら犠牲になることを選んでいることではないでしょうか。思い込み(先入観やマインドコントロール、脅迫)やそれに付随する罪悪感、あるいは生来的な生真面目さや正義感。そんなもので自分をがんじがらめにしていないか、今一度冷静に考える必要がある、と数年前の自分に言い聞かせたいくらいです。

自分が犠牲になる必要などどこにもないし、誰も感謝はしてくれません。自分を守る権利が誰にだってあることを忘れないようにしたいと思います。

どこかで読んだのですが、攻撃はやっぱり最大の防御。気配を殺気立てるのが一番有効だとのこと。どうせ、やり慣れないことはうまくいきません。やり返そうとしてもタイミングを逃すし、腕力で敵わない相手に挑むのは愚の骨頂。あとでいろいろと「しまったなぁ」と思い悩むのが関の山。であれば、殺気立つ練習をするのが一番だというのです。

それを知って以来、ゴー!!!と殺気立つ練習を時々するようにしています。

その練習をするようになって以来、なんだか楽になったような気がします。

それから、心の中を整えること。ポーカーフェースも有効ですがそれよりも実際に我慢しないのが一番。そのためにも、思った事をそのまま言って差支えのないことしか考えない、という心を整えておくこと。

それの実践を始めたいと思います。