新しいお稽古では意地悪がなくてとても平和で楽しい。技術を誠実に教えてくれて、毎回自分がステップアップしているのを実感して充実感溢れている。
これが普通だ。意地悪な人がいて意地悪を許容しいじめを横行させ、自らも意地悪をする先生のもとで何も教えてもらえない、というお稽古事は普通ではなかったことを実感している。お金払って時間と手間を使って何をしていたんだろう。
ちょっと不思議なのは、外でばったりと出会った時、さっと身を隠すんだ。お連れのご主人がこちらを見つけて挨拶のために立ち止まる。そしたら慌てて戻ってきて「気がつかなくて!」と、こちらが何も聞いていないのに前後の話やいろいろと一人でしゃべり始める。
と、古くて長い付き合いの友人に話の流れで話をした。
楽しそうに「うんうん!」と聞いてくれていたのだが、最後のほうになって相槌を打たずに考え込み始めた。
「なんか変よ。どうしてそういうことをする人が『いい人』なの?十分に意地悪でしょう。
人を見る目というか判断基準が、ずれているよ。」
友人の反応を思い出す出来事がすぐに起きた。
私の用意した素材をやたらと褒めてくれていかにも欲しそうにしていたので、「必要であればお分けしますが」と声をかけた。言わされた感パなかったけど、反射的に大人対応。
するともっと褒め始めた。5分か10分ほどほめちぎっていた。要るのか要らないのか、どちらなんだろう?と思い始めたころに唐突に話が途切れた。急に周囲が静かになった気配を感じて目を上げて先生を見ると、先生はいなかった。私は素材を手にして突っ立ったまま、大きな部屋の真ん中に1人ポツンと取り残されていた。
その不思議というか不気味な体験がまだ記憶から消える前に次が起きた。
またまた私が持ってきた素材で作ったものを、褒め始めた。またもややたらと褒めて「こういうのを探しているのよねぇ」としみじみとおっしゃる。そして私もまたまた言わされた感パない状態なのにまたまた「持ってきましょうか」と言ってしまった。
先生がまたもや褒め始めた。褒めに褒めて、そして再び、先生は忽然と姿を消した。
全く意識していなかったのだけれど、その日、私は初めて、帰りのご挨拶をし忘れた。
流れで初めて、ほかの人たちと帰りをずらさずに一緒に話をしながら教室を出た。そのまますっかりと忘れていた。そして家に帰って話題の素材を目にして、あっと思ったのだ。
連動しているのかどうかわからないのだけれど、いつもなら次の教室の時にでも話題にすればよいような、どうでもよい忘れ物の件で先生からLineが来た。
「どうしましょうか?」「こうしましょうか?」「やっぱり捨てておきましょうか?」などなど、どのように返信しても返事が来る。
返信をしているうちに、かのフレネミーが話していたことを思い出した。
宿が見つからないから親子4人でうちに泊まりたいと連絡してきたのを深夜近くなってしれっとドタキャンしてきたことがあり、そのときのことを後日話題にしたときのことだ。
「主婦というのはね、『こうだったらいいわねぇ』と実現しないことも気軽に口にするものよ。だから主婦ならばね、実現する意志かあるのかどうかを会話を重ねて慎重に確認してすり合わせするものなの。あなたみたいにすぐに信じて実現すると短絡的に思い込むの、バカみたい。というか、馬鹿よ。あなた、どこまで馬鹿なの?」
これ、どっちがまともなんだろうか。
いまだに答えを知らない。
これが普通だ。意地悪な人がいて意地悪を許容しいじめを横行させ、自らも意地悪をする先生のもとで何も教えてもらえない、というお稽古事は普通ではなかったことを実感している。お金払って時間と手間を使って何をしていたんだろう。
ちょっと不思議なのは、外でばったりと出会った時、さっと身を隠すんだ。お連れのご主人がこちらを見つけて挨拶のために立ち止まる。そしたら慌てて戻ってきて「気がつかなくて!」と、こちらが何も聞いていないのに前後の話やいろいろと一人でしゃべり始める。
と、古くて長い付き合いの友人に話の流れで話をした。
楽しそうに「うんうん!」と聞いてくれていたのだが、最後のほうになって相槌を打たずに考え込み始めた。
「なんか変よ。どうしてそういうことをする人が『いい人』なの?十分に意地悪でしょう。
人を見る目というか判断基準が、ずれているよ。」
友人の反応を思い出す出来事がすぐに起きた。
私の用意した素材をやたらと褒めてくれていかにも欲しそうにしていたので、「必要であればお分けしますが」と声をかけた。言わされた感パなかったけど、反射的に大人対応。
するともっと褒め始めた。5分か10分ほどほめちぎっていた。要るのか要らないのか、どちらなんだろう?と思い始めたころに唐突に話が途切れた。急に周囲が静かになった気配を感じて目を上げて先生を見ると、先生はいなかった。私は素材を手にして突っ立ったまま、大きな部屋の真ん中に1人ポツンと取り残されていた。
その不思議というか不気味な体験がまだ記憶から消える前に次が起きた。
またまた私が持ってきた素材で作ったものを、褒め始めた。またもややたらと褒めて「こういうのを探しているのよねぇ」としみじみとおっしゃる。そして私もまたまた言わされた感パない状態なのにまたまた「持ってきましょうか」と言ってしまった。
先生がまたもや褒め始めた。褒めに褒めて、そして再び、先生は忽然と姿を消した。
全く意識していなかったのだけれど、その日、私は初めて、帰りのご挨拶をし忘れた。
流れで初めて、ほかの人たちと帰りをずらさずに一緒に話をしながら教室を出た。そのまますっかりと忘れていた。そして家に帰って話題の素材を目にして、あっと思ったのだ。
連動しているのかどうかわからないのだけれど、いつもなら次の教室の時にでも話題にすればよいような、どうでもよい忘れ物の件で先生からLineが来た。
「どうしましょうか?」「こうしましょうか?」「やっぱり捨てておきましょうか?」などなど、どのように返信しても返事が来る。
返信をしているうちに、かのフレネミーが話していたことを思い出した。
宿が見つからないから親子4人でうちに泊まりたいと連絡してきたのを深夜近くなってしれっとドタキャンしてきたことがあり、そのときのことを後日話題にしたときのことだ。
「主婦というのはね、『こうだったらいいわねぇ』と実現しないことも気軽に口にするものよ。だから主婦ならばね、実現する意志かあるのかどうかを会話を重ねて慎重に確認してすり合わせするものなの。あなたみたいにすぐに信じて実現すると短絡的に思い込むの、バカみたい。というか、馬鹿よ。あなた、どこまで馬鹿なの?」
これ、どっちがまともなんだろうか。
いまだに答えを知らない。
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